円空が流浪の果てに選びし土地、関市

江戸時代、寛永9年(1632年)に美濃国(岐阜県)で円空は生まれました。若くして出家し、岐阜県を中心に北海道から近畿地方の諸国を遊行し、人々の幸を願い生涯12万体の円空仏を彫りつづけました。これらの円空仏は、全国に約5,000体が残っているといわれ、関市内には約330体の存在が知られています。当館では、その内の約30体をご覧いただけます。円空の自刻像と対面するとその微笑の中に漂泊の生涯を送りながら慈愛を施し続けた彼の人柄を感じられる気がします。晩年は関市池尻弥勒寺の地に自坊をかまえ、ここを本拠地として活躍し、長良川河畔で入定し、その64年にわたる生涯を終えました。

 

円空愛好家にはたまらないスポット、関市円空館

関市円空館では、関市とゆかりが深く郷土の誇りである円空を広く紹介しています。館内には、円空関係の映像が見られる多目的ルーム、円空と弥勒寺官衙遺跡関係の書籍を集めた図書コーナー、約30体の円空仏が見ることができる展示エリア等を備えています。関市円空館の周辺には、弥勒寺跡、入定塚、円空の墓等があり、円空愛好家にはたまらないスポットになっています。円空が晩年の拠点とした弥勒寺は、一時期廃寺になっていました。円空が、江戸時代に廃寺になっていた弥勒寺を中興し、元禄2年(1689年)に滋賀県園城寺(三井寺)尊栄から血脈を受け、その末寺となりました。円空が中興した弥勒寺は大正9年(1920年)に火災で焼失してしまいましたが、この中に数百体の円空仏があったといわれています。

 

長良川河畔に入定し、64年の生涯を終える

元禄8年(1695年)、死期を予覚した円空は、長良川河畔に入定(入禅定〈禅定に入る〉の略称で、悟りの境地に達するための修行)し、64年の生涯を終えています。関市池尻にある弥勒寺跡の裏側には、円空の墓がひっそりとたたずんでいます。少し曲がった自然石には、「ユ(弥勒菩薩の梵字) 當寺中興圓空上人 元禄八乙亥天七月十五日(花押)」と刻まれています。

名称
関市円空館
場所
〒501-3264 関市池尻185番地
駐車場
30台
お問い合わせ
0575-24-2255
webサイト

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