奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神へ
正応元年(1288年)、金重と兼永は関鍛冶を総代して、奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神としました。関鍛冶の多くの刀匠は、大和鍛冶の出身者と言われています。故郷から遠く離れた山間僻地に故郷の神を祀ることで、刀匠たちは大和への熱い想いをたぎらせていたに違いありません。この神社には室町時代の能装束(国指定重要文化財)を始め能面・奉納刀など、歴史と文化が偲ばれる数多くの文化財が保存されており、これらを特別展などにおいて公開しています。また、四月の春祭り、夏の天王祭りなど多彩な行事が繰り広げらます。四月の春祭りには、能舞台にて「童子夜行(どうじやこう)」というめずらしい滑稽な古典神事芸能が執り行われています。これは春日神社が創建されたころより始められたと言われており、「その昔、山に住み着いて村を荒らしまわった魔物に神様のお告げに従って餅を食べさせ、満腹で寝入ったすきに退治したという伝説」を、村人の感謝を込めて演じ神様に奉納するというものです。
都を思わす香り高い文化の華がこの地に咲くことを祈り続けて
室町時代、都で能が流行するといちはやくこれを取り入れ、境内に檜皮葺の能舞台を建立し、毎年正月、祭事能として奉納するようになりました。これは、刀業を繁栄させ、都を思わす香り高い文化の華がこの新天地に咲くことを祈り続けていたからにちがいありません。記録によれば、応永2年(1395年)兼吉清治郎が関七流を代表して翁役を勤めたのが始まりとか。それ以来幕末にいたるまで、華やかに武家社会の能楽がこの山国で演じられているのです。
美しい能装束を身につつみ面を隠してひたすらに舞う鍛冶の人々
美しい能装束に身をつつみ面に隠してひたすらに舞う鍛冶の人々。現在、春日神社の神宝殿には、いにしえの情景をしのばせる能面と能装束が残っています。いずれも、室町初期から桃山期にかけてのもので、中でも61点の能面には室町の名工赤鶴吉成や石川重政の作品もあり、国の重要文化財にもなっています。さらに、63点の能装束は、国の重要文化財に指定されており、関市の誇る宝物の一つとなっています。